ヤクシマ三丁目

オリジナル小説を公開しています。声劇台本の告知、小説化なんかも。同人誌にしてコミティアとか、二次創作でコミケに出たり。

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「小説」が進む未来の一つ


 昨日と同じで、元ネタは以下のブログ記事です。
 しつこくってすみません。
 小説書いてなくてすみません。台本も同様にすみません。

実用書『物語工学論』でカットされた賀東×新城特別対談の中盤盛り上がり、どーんと一挙無料公開!

 で。今日はこの部分について、思った事を書いてみる。

新「結局、作る側は『見ている側が見落とす部分』まで作り込まざるを得ないんだよね。どうしても。ただそれで見ている側、小説なら読者の知識とか感性とか、“気づき力”みたいなものが無いとなると、お互い不幸なことになっちゃう。だからといって、小説にYouTubeの動画をベタっと貼りつけて、というのもさすがに」
賀「リンク貼ったりとか」
新「ブログだとそれができるから、ある意味で気が楽なんだけど。あれは小説とはちょっと違うし……でも小説もああなる可能性はあるだろうね」



■リンク、youtube動画有りの小説


 
 小説は紙媒体である。
 これは物を語るよりも前から、文字を書き記してきた頃からの伝統みたいなものだ。
 羊皮紙などに始まり、活版印刷によって劇的普及を遂げ、バイブルという史上最大級の読み物を全世界に広めた頃からの、伝統だ。

 でも、ついに活版印刷から始まった「実体主義」は終わりを告げようとしている。最中だ。

 Amazon、ワイヤレス機能つき電子書籍リーダー「Kindle」発売

 電子書籍。つまり、物語が「データ」として、うつろな何かに変わった瞬間が、確かに存在したわけだ。
 これにより、今まではコンピュータの領域と紙媒体の領域は重なる事が無く、小説がコンピュータの領域にわざわざ行かない限り、リンクやyoutube動画を「表現の一部」として使うことは出来なかった。
 多分、二の足を踏んでいたのだろう。長いこと紙媒体という大地でやってきた。小説を囲む社会も全て紙媒体に最適化されていて、ITバブルと呼ばれた二千年前半にも、しかし小説はコンピュータの領域へ行くことはなかった。
 プライドだって有っただろう。そういった諸々があって、小説はコンピュータの領域へと踏み出さなかった。

 だから、先手を取られる。
 まるで、こちらを吸収するような動きで、コンピュータが領域を広げ、こちらの裾野へとたどり着き、あまつさえそこから次第に自分たちの領域へと変換を始めていった。
 せめて対等な関係での融合だったら良かったが、まぁ、もう後の祭りなので語る必要もないけれど。

 ともあれこのリーダーによって、筆者側は、ついに表現としてのリンク、youtube動画などが使えるようになるだろう。

■電子書籍リーダーの可能性
 今は書籍をどこからでもダウンロードして直ぐに読めるようになりますよー、程度だが、記事の中にURLが有りました。それを選択するとリンク先が見れます。なんていうのは、直ぐに作れてしまうだろう。
 まぁ、ぶっちゃければ「NintendoDS」なんかは、リーダーとしても使えそうで(電撃文庫が小説のソフト化したし)ネットワークに接続できるから、これを文章に特化したら、もう、リーダーというかPDA、スマートフォン的な感じで使うことができるだろう。
 iPhoneも良いね。もう一つぐらい画面があるか、画面が大きくなるとよりベターだが、タブレットMacなんかが本当に実現したら、もうそれで良いじゃないという気がしないでもない。
 
 ともあれ、今現在で、百万単位で出回っているケイタイ端末は、リーダーになりえる。
 それに特化した表現方法が生まれたとしても、おかしくはないだろう。

■その表現の存在意義
 リーダーがあったとして、それじゃ「リンクとかyoutube動画を張る理由ってなに?」みたいな話が出てくると思う。

 多分、その分野の小説は「総合的なエンタメ」になるんじゃなかろうか、なんて夢想している。
 youtube動画が張ってあります。再生しました。音楽が流れてきました。
これ、この作品のBGMです」とかね。
 その音楽、実はタイアップでした、みたいな。
 下手すれば、タイポグラフィの動画が張ってあって「これが私の書いた小説です」って事も、あるんじゃないかなぁ。

 リンクなんかは、多分こうだ。
 リンクが張ってあって、それを選択すると別ページに飛ぶ。そこにはミニゲームがあって、その展開次第で小説の続きが変わる、とか。

 こうやって書き出してみると、もはや小説じゃなくなっている。
 ゲームであるとか、動画であるとか。
 こういったのは、昨今の動画共有サイトでやっちまってるじゃん、と。

 だから、理由というよりは、それが「目的」なんじゃないかなと思う。
 文章がメインで、でも他の事もやる。
 文章が元ネタで、グリグリ動画を作る。
 文章が途中途中であって、ゲームもできる。

 新「ブログだとそれができるから、ある意味で気が楽なんだけど。あれは小説とはちょっと違うし……でも小説もああなる可能性はあるだろうね」



 まさにこの文章のままだ。
 小説とは違うけれど、こういった進化を遂げるのは、ありえる。むしろ「そうなる領域が確かに存在する」のだ。

■将来の「区分け」
 こういう事は、もうどっかで起こっているんじゃないだろうか。
 小説をブログで公開していて、BGMはこれですってyoutubeを貼り付ける。ぐらいのこと、やってないはずがないだろうと。

 んじゃ、紙媒体で作られてきた「小説」はそれによって淘汰されるの?

 ノー。ありえない。

 確かに電子書籍リーダーは便利だ。
 なにせ、部屋を圧迫する本棚を買わなくてすむし、床が抜ける心配もなくなる。蔵書が三桁を超えていようとも、その全てを持ち運べて、どこでも読める。病気で入院したって、ゴロゴロベットの上で転がりながら、新刊を発売日に、面会時間の前に手に入れることだって可能になる。

 でも、多分紙媒体は無くならない。
 厳密に言うと「マニアが存在する限り無くならない」が正しいんだろう。

 今のデジタル音楽プレイヤーとレコードのような関係と言えば正しいな。

 古くて、もう再生機すら手に入れにくいけれど、ほんの少数は買ってくれる。そんなレコードのような存在になると思う。

 えっ? 利権だとか紙媒体を牛耳る組織が、電子書籍を駆逐するだって?

 はははっ、

 MDという音楽録音媒体を覚えているかい?

 iPhone累計出荷台数3000万台突破

 2001年にiPodが出たときに「日本にはレンタルCDからMD化した資産がたくさんある」とか、「PCが必要なiPodは売れない」という議論があったのを思い返してほしい。ところが、その後わずか3年で、デジタル音楽プレーヤーはMDプレーヤーの販売台数をひっくり返してしまったのだ。



 これが、答えだと思う。

 電子書籍リーダーはデジタル音楽プレイヤーでMDプレイヤーは紙媒体という構図が、見えてこないか?

 そこが終着点だ。
 電子書籍リーダーが取って代わり、紙媒体はビブリオマニアが所持する物……そんな未来がやってくるだろう。
 その頃には、表現も紙媒体では出来なかったリンクやyoutube動画をしようした物が出てくる。

 そして、それはもう目の前にやってきているんじゃないかな。


 とまぁ、以上です。
 そういう未来は来るんだろうなぁと思っているけれど、いつになるかは判らない。
 でも、外に持ち出せるぐらいにカッコイイ(カワイイ)電子書籍リーダーが出てきたら、紙媒体終了のお知らせ、その序曲。ぐらいには思っている。

 
 

テーマ:物書きのひとりごと - ジャンル:小説・文学

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  • 2012/05/09(水) 14:33:34 |

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